大学院進学の奨め
「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」
– 平成17年度文部科学省「魅力ある大学院教育」イニシアティブ採択プログラム –
1. 数学科・数学系大学院について
「数学科」は,正確には,明治大学理工学部数学科と明治大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻・数学系よりなります(*1)。大学院は,前期課程2年間と後期課程3年間よりなり,物理学系・情報科学系と合わせて,「基礎理工学専攻」という一つの専攻をつくっています。学位には,学部の4年間で社会に出る「学士」,前期課程に進学し6年間の研鑽を積んで社会に出る「修士」があるほかに,後期課程に進学し「博士」の学位を持って社会に出るという,3種類あることになります。学部を卒業した後で,他大学の大学院に進学することも,もちろん可能です。 今日は,「数学科」というのはどのような組織であるのかを説明し,これからの理工学分野では,大学院進学を視野に置いて勉強することが非常に大切であるというお話をしたいと思います。
2.現代数学は,今ものすごく役に立っている!
「数学科」の目的は,「数学」を研究し,教え,学ぶことにあります。では,「数学」とは,どのような学問なのでしょうか。大学で学ぶ数学は,高等学校までに覚えてきた数学とはかなり異質なものであって,勉強の仕方もかなり異なります。これは非常に大事なことなのですが,私がこの話をすると,たっぷり一時間はかかります(*2)。今回は時間が無いし,実際に授業が始まれば否応無くわかることです。それに,いろいろなところでお話を聞くことになると思いますから,今日は少し違った視点から,「数学と数学科」についてお話しましょう。
まず強調したいことは,現代数学は,実社会でものすごく役に立っているということ(*3) ,それどころか,現代文明は「数学」の上に成り立っているという事実です。学問分野で言えば,物理学(最近では,星雲の発生と銀河誕生の理論など)や工学の技術分野では勿論のこと,社会学・心理学・政治経済学,数理生物学・数理古生物学など,実社会で言えば,建築設計における強度計算(インチキをやった人も,いましたねえ!),金融(ファイナンスや生保),暗号理論などIT,安全学やリスク管理,交通渋滞や物流制御(電気や水の効率的な分配や電話のネットワーク設計というような,基本的なことを含めて),医療業務(伝染病の発生と伝播・収束のメカニズム解析,「突然死の数理」などといった理論も含めて),自動車の設計,衝突事故における衝撃の伝わり方の解析,巨大地震発生と振動伝播のメカニズム解析(予知までは行かないらしいが)など,多方面に使われ,重要な役割を担っています。
20世紀以降,いろいろな分野で膨大なデータが蓄積されてきていますが,それらのデータをモデル化し,コンピューターを用いてシミュレーションする,あるいは,統計的な処理をする,そして,さて結論を下そうとするとき(理解し,説明しようとする最終段階のことですが),数学の力を借りないことには,正しい結論が得られているのかどうか,誰にも確かな判断ができないのです。つまらないことですが,例えば,工学系・医学系の研究者が研究成果を公表しようとするとき,論文原稿作成に数学者が参加していない(「数学者の校閲を受けていない」)場合には,論文が受理されなくなって来ているという話は,あちこちで聞かれます。
つまり,現代数学は,知的興味や優雅な思索といった伝統的な視点をはるかに超え,「実学」として重要な役割を果たすという「新しい時代」を迎えつつあります。そのような時代に,我が数学科で数学を学ぶ新入生の皆さんには,洋々たる未来が約束されていると,私は信じています。というのも,まもなくお話しますが,我が数学科は,新しい時代の「新しい数学」を学ぶことができる「日本でただ一つの数学科」だからです。
3.「6年一貫教育」と大学院進学の奨め
この話の目的は,理工学系分野における大学院教育の重要性を述べ,大学院進学を奨励することにあります。学部に入学したいわば初日に,大学院進学の話をされるのには,少々びっくりするかも知れませんが,少なくとも皆さんには,大学院進学を視野に入れて4年間の学生生活を送って欲しいと,私は心から願っています。ずいぶん先の話のように思えるかも知れませんが,4年間などあっという間に過ぎますから。
では,なぜ大学院進学が重要であるのか,まずその理由を説明しましょう。
(1)現代科学は,非常に大きな体系になっている。
(2)この40年間の間に,学部の科学技術教育は,平均して2年分くらい地盤沈下した。
この二つが原因で,学部4年間だけでは,現代科学の知識習得には足りないのです。特に(2)は,文部科学省の失政で,日本全国で一斉にそうなったのであり,本学固有のことではありません。ですから,国内で生きて行こうと考えるなら,(2)から特別な不利益が生じるという可能性は無いかもしれません。但し,海外の動きはまったく別であること,卒業後に国際的に活躍しようと志す人々には,かなりの不利益が生じて来ているということは,知っておく必要があります。即ち
(3)国際社会は,とっくの昔に「大学院」にシフトした 。欧米諸国やインド・シンガポール・中国・韓国では,社会の中枢で働く人々にとって,後期課程を含めて,大学院修了は当たり前のことになっている。
実際,欧米諸国では,政治家を始め,社会の第一線で働く人々や高等学校以下の教員の多くが,博士の学位(場合によっては,いくつものPh. D)を持っています。日本もそうならないと,これらの国々に勝てないし,(既にそうなっているのですが)国家としての地盤沈下は避けられないと,私は考えています(*4)。これからは日本でも,高等学校以下の教員にも高学歴(高い学力)が要求されるでしょう。
他にも,理由があります。
(4)終身雇用制度の崩壊。企業内教育の負担に耐えられず,日本企業は即戦力を求めている(*5)。
理工系分野では,残念ながら,4年間では「入り口」にたどり着くがやっとです。数学でも,学部4年間の教育だけで社会に出て,「大学で学んだ数学の力を生かして働く」というのは,実はかなり難しい。先進国ではどの学問分野でもそうなのですが,「学士」の肩書きだけでは,「総合職」は可能であっても,大学で学んだ専門知識を生かした「専門職」に就くには,実際にはかなりの無理があります。一方で,終身雇用制度を壊してしまった日本企業は,もはや入社後に何年かを掛けて,自前で人材を育成する体力も気力もありません。仕方が無く,即戦力を求めて,大学院前期課程修了者の中から,専門職・研究職を採用せざるを得なくなったに過ぎません。
このような社会情勢を踏まえた上で,私達は(「研究者養成」を放棄したわけではありませんが)数学科・数学系における大学院教育の目的を「大学で学んだ数学の力を生かして働く,高度専門職業人の養成」に設定しました。数学という学問は,一方的に受身の姿勢では,まず身に付きません。つんのめりながらも能動的に勉学に取り組み,ささやかでも創造的な体験を持つこと,これが最も望ましい(効率もよい)数学理解の仕方・勉強の仕方です。それには学部4年間では十分でなく,前期課程の2年間が重要な意味を持ちます。これが「6年一貫教育」の動機であり,「大学院進学を奨める」最も大きい理由です。それに,4年間では,やっと数学が少し面白くなりかけたときに卒業することになります。実にもったいない話ではありませんか。
他大学の様子を見て見ましょう。早稲田大学や慶応大学では,理工学部学生の約70%が大学院に進学します。早稲田大学理工学部の場合には,学生数で言えば,約1,000名が大学院進学,さらに約70名が博士(後期)課程に進学しています。これらの大学では,大学院修了者の就職状況は,非常に良好で,学部と比べると露骨なくらい明らかな格差があります。一方,本学理工学部では,約35%,350人前後しか大学院に進学しません(*6)。後期課程入学者は,15人くらいです。数学科では,前期課程が10%前後,5・6人です。後期課程は,毎年2人くらいです。これが今,私が必死になって,大学院進学の奨めをやっている理由です。ただし,今年は例外で,30%を越えています。そして激増の理由は,これからお話することと,深い関係があります。
話は変わりますが,学部はまあともかくとして,大学院くらいは,学生達は自分のお金で行くべきです。本学には,非常に充実した各種奨学金制度(*7)・TA,RA制度・研究者養成型助手制度(本年度は,50名採用)などが用意されていて,ご家庭の負担を最小限にする支援体制が整備されています。
但し,大学院で学ぶ者には,より大きな自己責任があります。自然に修士論文や博士論文が書けるわけではないからです。また, 先生と学生の間の関係は,依然として「師弟関係」と言う側面が大きいことも, 知っておく必要があります。
4.「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」
上に述べたように,大学院教育の目的は,「大学で学んだ数学の力を生かして働く,高度専門職業人の養成」にあります。この目的を達成するには,学部と大学院前期課程を一まとまりの教育期間と考える必要があります。実りある「6年一貫教育」を実現し,国際的にも魅力ある大学院教育を達成するには,どうすればよいか。その答えは,「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」にあります。
この「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」は,平成17年度文部科学省「魅力ある大学院教育」イニシアティブ採択プログラムです。文部科学省「魅力ある大学院教育」イニシアティブは,「世界的にも魅力ある大学院教育」を実現するため,文部科学省が国内全大学を対象に募集したプログラムです。理工農系で全国の大学から168件の応募があり,そのうち33件が採択されました。33件のうち2件だけが私学であり,残りは東大・京大・大阪大・東北大などすべて旧国立大学(ほぼすべて,旧帝大)でした。そして,たった2件のうちの一件が,我々の「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」だったのです。「数学」分野で採択されたのは,東大と明治大学だけですが,東大のテーマは英語による教育であって,数学そのものではありません。つまり,日本にある沢山の大学と数学科の中で,「我が明治大学理工学部数学科・数学系大学院だけが,新しい数学教育を実現しようとしている,計画内容は,国際的にも魅力ある大学院教育であると認定される。」と,文部科学省がお墨付きを出したと,私達は考えています。
5.内容 (抜粋)
「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」の具体的な内容に就いては,4月15日の「Freshmen’s day」に,三村昌泰先生が詳しく説明します。以下,抜粋です。
・・・日本の数学教育は,「孤立した形」で数学を教える傾向が強く,他の学問・技術や実社会との関りの中で,数学が果たしている役割の重要性を理解させ,これを通して,数学学習の動機付けを与えるという指導は,十分でなかったと思われます。私達のプログラムは,このような反省の下に企画されました。私達の計画では,学部数学科のカリキュラムに滑らかに接続した形で,大学院に下記3コースを開設し,(大学教員のような,狭い意味での)研究者だけではなく,修士や博士の学位を持った「高度専門職業人」の養成を目指します。
- 理論数理コース 代数学・幾何学・解析学という伝統的な「理論数学」の研究開発を目的とします。
- 現象数理コース 自然や社会現象の数理的理解と解析を目的とする新たな数学分野「現象数理学」の研究開発を目的とします。
- 数理教育コース 広い数理科学の知識と理解を持ち,数学の魅力を子供達に伝えることができるような,優れた教員の養成を目指します。
「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」の特色
理論数理コースは,代数学・幾何学・解析学という伝統的な学問分野で,研究者の養成を目的とします。
数理教育コースでは,ジョブインターンシップや現職の教員を助言者とするセミナーを開催します。子供達に,数学の面白さを伝えるだけではなく,社会との関りの中で,実社会において数学がいかに重要な役割を果たしているかを伝え,理解させることができる,そのような教員の養成を目指します。
数学科では,毎年10名前後の学生が,学部を卒業しただけで教職に就きますから,この大学院「数理教育コース」の充実は,少し長い時間スパンで見ると,大きな社会的意義があると考えられます。MTS数理科学教育で訓練を受けた学生達が,教員として高等学校や中学校で子供達を教え,数学が実社会で果たす役割に深い興味を持った子供達が,やがて大学に進学してくる,そのように大きな螺旋構造を想定しています。・・・
6.さあ,6年間を視野に入れ,一緒に勉強しましょう!
数学科は,このプログラムを実現するため,これまでも様々な準備を重ねてきました。例えば,実験室「数理科学研究所計算機実験室」(理工学部1203室)を2006年3月に新たに開設しました。「社会との関りを重視したMTS数理科学教育」では,理論数理コース・現象数理コース・数理教育コースという3コースが,重層的に実施されます。「数理科学研究所計算機実験室」の開設目的は,「数学実験」の場を提供し,各コースのスタッフ・学生達による研究課題の遂行をサポートすることにあります。
しかし,ここで強調したいことは,数学科では,世界の第一人者が先生をしているということです。解析学の増田久弥先生,現象数理学の三村昌泰先生,幾何学の砂田利一先生は,それぞれの専門分野で世界の第一人者です。多くの著名な大学で教授を歴任されています。それだけではなく,30・40歳代の先生達は,みな非常に教育・研究に熱心であり,ご自身が一生懸命に勉強しておられるだけではなく,学生達にも非常に親切で,親身な学生指導を実現しています。先生がよくなければ,優れた教育は不可能なのですよ。皆さんがどのような基準で進学先を選んだのか,私にはよく理解できないところもあるのですが,皆さんの選択は間違っていない,これだけのスタッフ・教授陣を備えた大学は,他には無いと,自信をもって断言できます。他の大学では,私達の学科のような充実した指導や教育は,まず期待できません。このことを理解してくれたからこそ,今年は,16名の学生が前期課程に進学しますし,後期課程には3名の学生が入学するのです。
さあ,皆さんも,これから頑張ってみませんか。
7.具体的な日程について
入試日程は,このようになっています。参考にしてください。20前後の学生の入学を期待しています。
(1)4年生の6月推薦入試,GPA学業成績上位2/3以上が対象になります。
(2)4年生の8月・翌年の2月,一般入試
(2006年4月7日新入生ガイダンス)
(*1)この「明治大学理工学部」と「明治大学大学院理工学研究科」は,法制上は別の機関ですが,理工学部では,実際には学部と大学院を合わせて,一つの組織(「研究教育機関」)であるかのごとく運営しています。先ほど紹介のあった教員達はすべて「明治大学理工学部」に所属し,大学院は兼務という形を取っています。
(*3) 高名な評論家が「私の人生において,2次方程式の根の公式が必要となったことは,一度も無い。」と発言し,若者達の理工系離れが,一気に進んだことがあります。確かに,2次方程式の根の公式は,日常生活では直接的には必要にならないかもしれませんが,このことと「学問としての数学が役に立っていない」ということは全く別のことです。
(*4) 日本における,大学院(とくに後期課程)修了者の社会進出は少なく,欧米諸国と極端な違いを示しています。博士の学位を持った衆議院議員は,日本には殆どいないのでは無いでしょうか。修士の学位を持った教員も,日本ではまだまだ少数の筈です。
(*5)バブルのころ企業は,「大学で教えることなど,実社会・企業では何の役にも立たない。必要なことは,入社後に叩き込む。大学では4年間よく遊んで,体を鍛えて来い。」,「大学では勉強しなくてよい。」と豪語していたのですから,この変化はご都合主義としかいえません。思い上がりというか,本当にふざけた話です。